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残念なブログ、始めます

「よんこま」出入りの占い師さんにず~っと言われていたこと。
「書くといいですよ」
「自分を切り売りして」
「沢山の人を救うし、儲かります」


ということで!
満を持して!
自分を切り売りします!

その名も
「残念アヤコ物語」  涙

まず名前が地味で残念です(綾子だよ~、なんで綾子なんだよ~、彩子とか亜矢子とか絢子とかあるじゃんよー! とは幼少からの心の叫び)。
その名前のせいか、やること成すこと残念な結果に終わる私。
2015年、ついに友人に「残念あやこ」と命名されるにまで至りました。
しかし、それが啓示となったのです!

そう、書くって何をと思っていたけど、こんな私が切り売りできることなんて、残念ネタくらい。。。
そしてきっと一生事欠かず書き続けられるネタも残念なことくらい。

でも、それで本当に誰かが救われるのなら! (本当かよ!?)
そして、本当に私がワイハーとかに行けちゃうお金持ちになれるなら! (是非とも!)
私の尽きない底なしの残念なストーリーを皆様にご提供いたしましょう (´_ゝ`)ふふ

これから小出しにしていきますが、
「本当にこんな残念な人が・・・!」と衝撃を受けることは間違いありません。
是非定期購読して下さい。あ、タダかコレ。既に残念始まってるわヾ(o´∀`o)ノ

えー、ちなみに、この世界は大変広いですが、
「ナゼ世界は広いのか? それは私のためだ!!!!!!
と思って生きてまいりました。

きっとこんな私のことも、受け入れてくれる人が、国が、どこかにある。
頑張れアヤコ!

次回予告
あの松岡修造とのグローバルなエピソードです☆ ええ~っっっ?(°_°)

とりあえず今は、めでたい感じで
残念ブログ始めます
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残念① ノーと言える松岡修造

何年か前。もしかしたら何十年か前。
まだ松岡修造さんが現役テニスプレーヤーだった頃の話です。

当時ロンドンにいた私は、その日、松岡修造さんが初出場したウィンブルドンの試合場にいました。
まだ予選で、多分それほど日本でも話題にはなっていなくて、コートで彼の試合を見ている人影はまばらな上に、日本人ともなると私だけでした。

私も特にテニスファンだったわけではなく、「せっかくこの地にいるのだから」くらいの気持ちで立ち寄っていました。
もちろん松岡さんの出場を知っていて足を運んだわけでもなく、本当にたまたま、「あ、名前、日本人」くらいの気付きで試合を見守っていました。

予選コートなので、センターコートとは違い普通~のオープンコート。
フェンスからは選手のリアルが息遣いまで感じ取れます。
ていうか、独り言全部聞こえる。
「いくぞいくぞー!」「取るぞ取るぞー!」
と、試合中ずっと大きな声で喋ってる。
わー、なんか珍しく よく喋る人だなぁー(デカイし)
と、先入観のなかった当時の私は素直に驚いていましたが、
今となると何の驚きもないです。ザ☆松岡修造(笑)

さて、そんな彼が勝利を収め、退場していきます。
アガシだったりシュティッヒだったりが人気だった当時、黄色い声援は遠くに聞こえ、松岡修造、勝ったのにボッチ。
選手控えに繋がる道にはスター選手を追いかける日本人女性達も多くいたのですが、松岡アウトオブ眼中。
「かわいそう! (T0T) 私は応援してたよって、伝えたい! 」
ファンでもなかったけど、急に日本人としての使命感に駆られた私は、彼の大きな背中を追いかけました。

で、急に後ろからガッと羽交い絞めされたんです。
松岡修造さんが遠ざかる。
ちょっ、邪魔すんなコラ! と肩越しに見上げればゴツイ黒服の黒人。

そう、私は、うっかり「立ち入り禁止区域」まで走りこんでおりまして、
SPにとっ捕まったのでした。

「松岡!松岡さん!」と私が訴えるので、そのSPは松岡修造さんを呼び止め

"Do you know this lady?"
"No." 

瞬殺か ━ (゚∀゚) ━ !!!!!!!


松岡修造・・・独り言はあんな喋ってたのに・・・英語はノーだけなのね・・・


かくして、私はそのままSPにつまみ出され
「ひどい! 次負けろ松岡!!!!」と呪ったのでありました。

今この話を聞いたら、松岡修造さんは覚えているでしょうか。
是非サイン色紙の一枚でも贈っていただきたい。
寄せる一言はもちろん、「No!」で。


↑「今日から君は噴水だ! 」「自分を持ちたいなら、サバになれ! 」何www


次回予告
あの紀子様(文仁親王妃)とのエピソードです☆ ええ~っっっ?(°_°)
 

残念② そして紀子様は微笑まれた

これまた何十年も前の話になりますが、学生時代にアセアン10周年だかのタイミングがあり、その記念式典的な大きな舞踊ステージが企画され、大学掲示板に通訳バイトの募集が上がり、私も一員として働くことになりました。

通訳バイトは当時高給で、仕送り2万円、トイレ共同風呂なしで生活する貧乏学生だった私はいつも目を光らせていました。
高給といっても「学生の身分には」というだけで、正規に比べたら随分と安く使われていたと思います。
時間外もかなり要求されて「その分もちゃんとお給料下さい!」と交渉したことを覚えています。

仕切っていたのは美しく、キャリアも人脈もある大人の女性。
今思うと...「安くていいと思ったけど、学生って責任感薄いくせに要求ばっかりしてきて面倒くさっ」と感じていたと思います(^^;)
社会に出てからは多くを学びましたが、当時の自分は「堂々たる学生」でした。
「ジェイさんが鳥はダメだそうです~」「メイさんが早く帰りたいそうです~」と通訳の仕事をしている気分でいれば、「あっちの話ばっかりハイハイ聞いてないで、こっちのために動いてよね!」と怒られたり。そりゃ言いたくなるわwww
最後の方はもう、誰もかれもが「やばい、本番、本番やばい」状態でワタワタで、主催者側もお金の計算とかしてる暇もないくらいで、
「あーもー! みんなカネカネって!!!!!」
とキレているのを見ながら私も走り回っていました。

この開催、もちろん箱も大きかったのですが、なぜここまで必死だったかと申しますと、初日に皇族をお迎えすることになっていたからなのです。

秋篠宮文仁親王と、紀子様と。

さあさあ、アヤコがやらかすのはここからです! 笑

アジア各国の楽団を1つにまとめたアセアン虹のオーケストラなるものを結成し、その全員と指揮者の間に入って全てに関わっていたので、その忙しさたるや...授業なんて出ている場合ではありませんでした。
それでも、言葉の通じない100人近くの人間が最後に指揮者の元にまとまっていく、その一体感を共にすることは素晴らしい体験でした。

しかししかし、やはりアジア人。アジア時間もあれば、アジア倫理もある。
総練習中にシンバルが鳴らなくて「脱走」に気付くなどは普通にありました。
そして本番当日も、直前にメンバー1人が行方不明に。
仮に「ヤンさん」としましょう。もうあと30分で幕が上がるというようなタイミングです。

「ヤンさん! ヤンさんどこ~!!!」と、来場者の人混みを掻き分け必死に探すアヤコ。
その視線の先にヤンさんの後頭発見!

「ヤンさん!!」と飛び出した私は、そこでガッと羽交い絞めにされます。また。
そう、また黒いSPです。
人生でSPに2度も止められる人間てそういないんじゃないか?

ヤンさんしか目に入っていなかった私ですが、その足元はレッドカーペットでした。
まさにその先に黒塗りの車が停まり、秋篠宮様と紀子様が降り立ち、赤い絨毯ロードは厳戒態勢。人だかりがそこだけスッと一本抜けたような完璧な静寂。
そこに私が叫びながら突っ込んでいったんですね! (ノ∇≦*)

「ヤンさんがっ ヤンさんがいっちゃう~っっ」と事態を把握できていなかった私は振りほどこうとあがいていて、
その前をお2人がにこやかに過ぎていかれました。

多分その後にSPに真剣に叱られたと思うのですが幸い覚えていません。
とにかくなんとかヤンさんを連れ戻し、無事に公演を終えることができたのでした。

こうして色々とありましたが、ヤンさん達からしたら「本当によくしてくれた異国の女の子」だったのでしょう。別れの際には皆さんでお金を出し合って櫛をプレゼントしてくれました。
多分、現地では相当な名士と思われる方からも「いつでも遊びにおいで。歓迎するから。」と名刺をいただきました。
その後に丁寧なメールもいただきました。でも、学生で適当だった私は返信の1つもせず、名刺もなくして、今残っているのは櫛だけです orz

さらに、長くサポートしていて「ちょっといいな」と思っていた日本人指揮者から後日に電話があり、キャホーとなったら宗教へのお誘いでした☆イエー

ということで!「途中まではイイ感じ」から、お決まりの残念に落ち着いたのでした♪


次回予告
SPに続き次回は警察沙汰。次々に可哀そうなアヤコ…

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